小さな団扇

最近の日々。

 

①圧倒的に猫が不足している。 はら(腹)をもふもふもふもふもはももふもふもふしたい。

②人間が多すぎる。うるさい。

③ぽぽっと鼻血が垂れた。真っ赤だった。

④他者から影響を受けることのできる人が羨ましい。明るい人は心配になる。

 

全部全部借り物ばかりで、創作って一体なんなんだろうね。

どこまで

ヨルシカ『二人称』展へ。

会場の天井は、外に面している部分だけが海のように煌めいている。人間の往来が小さな海を築いている。あの透明な青色は意図的なものではなく、空の色だろうか。

壁の色、床、照明、音楽、ディスプレイの形。すべてに意味があるように感じるし、どれにも理由はないようにも見える。

作品の完成はどこで決まるのだろう。

どこまで行っても何かが足りないような気がして、本当の終わりを、私は私の人生の最期にしか見出せない。人生のすべてが創作であってほしい。創作が人生のすべてであってほしい。友情も愛情も善悪も必要ない。人間は自己愛で満ちている。他者を否定し足場を保つような私に描ける美しさなど、ない。大した面白さも持ち合わせていない。自身で触れた好きなもの以外に関心を抱けない。他者を認められない。心の狭さ。それでも、創作だけは信じられた。私は私ではなく、信じた創作を愛している。身体の重さがその時間だけ自由になる。

 

終わりは月の見える夜がいい。

言葉より景色を

昨日は文学フリマ東京42に出店していました。足を運んでくださった皆様、ありがとうございました。

今回はまあまあの数の本が旅立った。本を渡していると、自分の書いた文章が他者(自分と同じように意思思考を持っているであろう人間)に読まれるということの大変さを改めて突きつけられる。言葉は無意識に人を傷つけるし、無意識に人を救うこともある。特に私は、口語で前者をよくやる。言った後に「今のはだめだった」と気がつく。わかっているのにさ。感情が言葉よりも先に出てしまうとき。いつもそうだ。

かわって文章は何度でも書き直せる。私が、創作が好きでそれを拠り所に生きているのは「修正がきく」からだと思う。創作の中では私が私の理想の中で生きられる。何度だって終わらせることができる。小説も映画も音楽も、完成形はぽっと出た言葉とは違う。私は自分の人生でそれをやりたい。

 

文フリ終了後に別の出店者さんと打ち上げをした。彼が「noteの日記読んだ(私はnoteで日記を書いています)」と言ったことに対し「げっ」と思った。小説とか文章自体は小さい頃から書いていたけれど、私が日記(エッセイ?)を書くきっかけになったのは彼の文章で、必然的に文体が似る部分がある。本人もたぶん気がついている。いや、普通に恥ずかしいですよ。

この出店者さんとは好きな事柄や思考がかなり近いと、話していて感じる。これは勝手な想像だけれど、性格の悪さが同じところにあるなと思う。悪いというか、自己解釈や他者からの視線に対する耐性、許容度など、感受性の部分に当たるのかもしれない。そもそも相手が大人で私に合わせてくれているだけかもしれない。うん、そんな気がしてきたな。そうかも。

パートナー(あ、私結婚したんですよ)とは、他者との関わりで重んじる部分も自分を安定させるための方法も異なっている。性格の黒い部分の出力も違うように感じる。あ、そうか出力なのか。出力の問題なのか。なるほどね〜。書きながら納得してしまった。どこまで「好き」を表に出すのか、どこまで「嫌い」を許容するのか、どこまで「どうでもいい」と線引きするのか、そういった出力を、熱量を、本当は全部、たったひとつの人生に向けたかった。

文フリに出るよ

文学フリマ東京42に出店します。

5/4(月) 12:00-17:00、東京ビックサイトにて。ブースは南3・4ホール ち-40 です。

お知らせはざっくりです。おわり。

 

最近ほんとうに更新をしていない。今日だってやろうと思っていたことの2割も出来なかった。まあいいか。出来なかったとて、出来なかったとてそれで何かが変わるわけではない。

東京の人混みに慣れた。生活になっている。

ロックンロールはこれからも

Cody・Lee(李)のライブ。

またですか。はいまたです。

前のお三方の背丈が高く立ち位置は悪かったけれど、ライブは本当に楽しかった。自然と声が出ていたし手を挙げていた。首と首と首の合間でたまに見える演者の表情は、誰もが笑っていた。

音楽を聴きながら帰る。ライブには第二幕があり、この余韻の時間がたまらなく心地良い。渋谷の人混みを抜けると、空に月が浮かんでいる。東京に来るまで、人の少ない場所の方が安全だと思っていたけれど、人の少ない場所の方が危険だと恋人に教えられた。まあ私の後ろをつけても「こいつどこまで歩くねん」ってなるだけなのですが。

そういえば、代々木公園は花見客でたいへんな人混みだった。何も咲いていない木の下にいる人は桜の色を知っているのだろうか。一生座ることのないブルーシートを抜ける。徐々に人は消えていく。住宅街の植え込みから野良猫が飛び出してきて、高架下で春が帰る。